リレーで抜かれた話とピアノの発表会でまちがえた話の2本で、負けや失敗のくやしさをかかえた主人公が、自分で何かに気づいて前を向くまでを描いた物語文です。どの場面の気づきが変わり目なのかを本文から探しましょう。
運動会のクラス対抗リレーで、ぼくは四番目の走者だった。ぼくはクラスでいちばん足が速いと言われていた。スタートの前から、心臓の音が耳のおくでひびいていた。
バトンを受け取ったとき、ぼくたちのクラスは一位だった。前にはだれもいない。応援席から、ぼくの名前を呼ぶ声が聞こえる。ぼくは必死で腕をふった。
最後のカーブに入ったとき、後ろから足音が近づいてきた。ぼくは思わずふり返った。その一瞬で、三組の蓮がぼくの横に並び、そのまま前へ出た。追いかけたけれど、背中は少しずつはなれていった。
アンカーの拓海にバトンをわたしたとき、ぼくたちは二位になっていた。拓海も最後まで追ったが、クラスはそのまま二位でゴールした。ゴールの向こうで、三組の子たちがとび上がってよろこんでいるのが見えた。
応援席にもどるとき、ぼくはだれの顔も見られなかった。くやしくて、手のひらにつめのあとがつくほど、こぶしをにぎりしめていた。ふり返らなければよかった。何度も、そればかり考えた。
運動会が終わった夕方、ぼくは一人で校庭のすみにすわっていた。テントはもう片づけられて、トラックの白線だけが残っている。ぼくは、蓮にぬかれた最後のカーブを、ずっと見ていた。あのとき、ふり返りさえしなければ。
「悠斗、まだいたのか」
拓海が来て、ぼくのとなりにこしを下ろした。ジャージのひざに、まだ土がついている。
「二位だって、すごいじゃん。そんな顔するなよ」
「……ぼくがぬかれなかったら、一位だった」
拓海は少しだまってから、言った。
「蓮って、去年はそんなに速くなかったよな。毎朝、川ぞいの道を走ってるらしいよ。学校に来る前に」
ぼくは、はっとした。毎朝、登校のとき、川ぞいの道を一人で走っている子がいた。青いジャージを着ていた。雨の日も、かさをささずに走っていた。ぼくは友だちと笑いながら、それをながめていた。あれは、蓮だったのだ。
くやしさは消えなかった。けれど、そのおくで、何かがすっきりしていくのもわかった。蓮は毎朝走っていて、ぼくは笑って見ていただけだった。ぬかれた理由が、やっとわかったからだ。
「拓海。明日の朝、ぼくも川ぞいの道を走ってみる」
「じゃあ、ぼくも行く。アンカーだからな。来年は、二人で三組をぬかそうぜ」
校庭を、すずしい風がふきぬけていった。胸の中のもやもやが、風といっしょに運ばれていくようだった。ぼくは立ち上がって、大きく息をすった。明日は、いつもより一時間早く起きよう。
課題
美咲の番が来た。舞台のそでで待っているあいだ、指先はずっと冷たかった。まぶしいライトの中を歩いて、美咲はピアノの前にすわった。前の子のきれいな演奏が、まだ耳に残っていた。
客席は暗くて、だれの顔も見えない。美咲はひざの上で両手を一度にぎってから、けんばんの上に指を置いた。客席の後ろのほうで、だれかが小さくせきをした。
弾き始めは、うまくいった。半年かけて、毎日練習してきた曲だ。指は、考えなくても動いた。先生にも、もうだいじょうぶ、と言われていた。
ところが、曲の真ん中に来たとき、右手の指がとなりのけんばんをおした。にごった音がひびいた。あわてて弾き直そうとして、指が止まった。会場が、しんとなった。頭の中が、真っ白になった。
一つ息をすって、美咲はもう一度弾き始めた。それからあとのことは、よく覚えていない。気がつくと最後の音が消えていて、ぱらぱらと拍手が聞こえていた。おじぎをするとき、美咲は客席を見ることができなかった。
帰り道、美咲は妹のひなと二人で、夕方の道を歩いた。花束をかかえたまま、ずっと足もとを見ていた。くやしくて、口を開いたら泣いてしまいそうだった。あのにごった音が、何度も耳のおくでよみがえる。かかえた花束が、やけに重かった。
「おねえちゃん、なんでずっとだまってるの」
「……まちがえたから。あんなに練習したのに」
ひなは、少し首をかしげた。それから前を向いて、小さな声で歌い始めた。美咲は思わず足を止めた。
ひなが歌っているのは、美咲がまちがえた、すぐあとのところだった。指が止まって、もう一度弾き始めたところ。そこから最後までのメロディーを、ひなはまちがえずに歌っていた。
「ひな、その曲、覚えたの」
「うん。ここ、いちばん好き。おねえちゃん、家でいつも弾いてたもん。ひな、おふろでも歌ってるよ」
美咲は、花束をぎゅっとかかえ直した。まちがえた音は、まだ耳のおくで鳴っている。それなのに、ひなの歌を聞いていると、口もとがゆるんでしまう。くやしいのに、少しうれしかった。止まったあとに弾いた音も、ちゃんとひなにとどいていたのだ。
西の空の雲が切れて、ひなの横顔がふっと明るくなった。
「ひな、帰ったら、もう一回弾く。まちがえたところから。次は、止まらないで最後まで」
「じゃあ、ひなが聞いてあげる」
美咲はひなの手をにぎって、少しだけ早足になった。家までの道が、来たときよりも短く感じられた。
課題
デルバトのプリントは無料で印刷・配布できます。本文はこのプリントのために書いたオリジナルの文章です。設問は順に追加します。