後ろめたさ・申し訳なさ・気まずさ・はずかしさの4つの気持ちを、1本に1つずつ描いた物語文です。目をそらす、話題を変える、早口になるといった手がかりから、主人公が何を気にしているのかを読み取りましょう。
日曜日の朝、ぼくは図書館の返却ポストの前に立っていた。手さげの中には、先週借りたきょうりゅうの図かんが入っている。
三日前、ぼくはその図かんを読みながら、オレンジジュースをこぼした。あわててティッシュでふいたけれど、後ろのほうのページが波のようにふくらんで、しみが残ってしまった。
ぼくは、まわりにだれもいないのをたしかめてから、図かんをポストに入れた。ごとん、と重い音がした。ぼくはふり返らずに、走って帰った。
それから一週間、ぼくは図書館に行かなかった。前は毎週通っていたのに、図書館の前の道さえさけた。お母さんに「最近、本を借りてこないのね」と言われると、宿題がいそがしいとごまかした。
次の日曜日、新しく出たシリーズの本が気になって、ぼくはとうとう図書館へ行った。カウンターの前を通るとき、自然と早足になった。
「拓海くん、ちょっといいかな」
名前をよばれて、足が止まった。いつもカウンターにいる、めがねの司書さんだった。
司書さんは、カウンターの下から、あの図かんを取り出した。しみは思っていたよりずっと大きかった。
「この本、返ってきたらぬれていてね。次に予約していた一年生の子が楽しみにしていたんだけど、貸せなくなっちゃったの」
司書さんは、せめるような言い方はしなかった。それが、かえってこたえた。カウンターの前でがっかりしている、小さな子の顔がうかんだ。
ぼくはくつの先を見つめた。窓から入る日ざしが背中に当たって、首のうしろが熱かった。だまっていれば、たぶんこれで終わる。でもそれは、この後ろめたい気持ちをかかえたまま、ずっとここに通うことだった。
「……それ、ぼくです。ジュースをこぼして、だまって返しました。ごめんなさい」
声がふるえた。司書さんは、少しのあいだぼくを見ていた。それから、ゆっくりうなずいた。
「言ってくれて、ありがとう。じゃあ、いっしょに直してみようか」
しかられなくてほっとしたのに、むねのおくがちくりと痛んだ。司書さんは、ぼくをカウンターのおくの部屋につれていった。ぬれたページの間に紙をはさみ、上に重い辞書をのせるのだと教えてくれた。
「すっかり元にはもどらないけどね。読めるようにはなるよ」
一週間後、図かんはカウンターにもどってきた。ページはまだ少し波打っていたが、きょうりゅうの絵はちゃんと見えた。
ぼくは新しいシリーズの本を借りて、司書さんに「ありがとうございました」と頭を下げた。まっすぐ顔を見て話せたのは、ひさしぶりだった。外に出ると、空が高く晴れていた。
課題
足の骨を折って入院してから、十日がたった。体育の時間に、とび箱から落ちたのだ。手術はうまくいったけれど、まだ一人ではベッドから下りられない。
お母さんは毎日、仕事が終わると病院に来てくれた。家から病院までは、バスで四十分もかかる。面会時間ぎりぎりの七時半に、息を切らして病室に入ってくる。手には、着がえのふくろと、わたしの好きなプリンを持って。
「真央、今日はどうだった。痛くない」
「うん。へいき」
その日、お母さんがせんたく物をたたむのを、わたしはベッドの上から見ていた。目の下に、こいかげができている。かみの毛のはしが、少しはねたままだった。朝、急いで家を出てきたのだろう。
お母さんのくつ下のかかとに、小さな穴があいていた。前は、そんなことは一度もなかった。
わたしは、プリンを食べる手を止めた。いつもと同じあまいプリンなのに、のどを通らない。スプーンを持ったまま、それ以上は食べられなかった。
「どうしたの。おなか、いっぱい」
「……ううん」
わたしはお母さんの顔を見られなくて、窓のほうを向いた。外はもう暗く、ガラスに病室の白い明かりがうつっていた。遠くで救急車のサイレンが小さく鳴って、すぐに消えた。
あのとき、とび箱で調子に乗らなければよかった。先生の「無理しないで」という声を聞いていれば、お母さんは、こんなに走り回らなくてすんだのだ。
「お母さん、もう毎日来なくていいよ。つかれてるでしょ。わたし、一人でだいじょうぶだから」
言いながら、声がだんだん小さくなった。お母さんは、たたみかけのタオルをひざに置いた。
「真央、何言ってるの」
お母さんは、わたしのベッドのはしにこしかけた。
「お母さんね、一日でいちばんほっとするのが、この時間なのよ。会社でどんなにいやなことがあっても、真央の顔を見たら、今日もがんばったなって思えるの」
お母さんは、わたしの手をにぎった。その手はハンドクリームのにおいがして、あたたかかった。わたしは、なみだがこぼれそうになって、あわててまばたきをした。うれしいのに、むねがぎゅっと苦しかった。
「だから、来なくていいって言われても来るからね。そのかわり、早くなおして、いっしょに家に帰ろう」
「……うん」
わたしは残りのプリンを、ひと口ずつ大事に食べた。次の日の朝、わたしはリハビリの先生に、歩く練習をもう一回したいと自分から言った。窓の外は、よく晴れていた。
課題
おぼんに、ぼくは家族と祖父母の家へ行った。げんかんに、見覚えのある青いくつがそろえてあった。いとこの健人が、先に着いていたのだ。
健人はぼくと同じ五年生だ。去年の夏、川で魚をとっていたとき、どちらが先に見つけたかで言い合いになった。おたがいにひどいことを言って、帰る日も目を合わせなかった。それから一年、一度も話していない。
「翔太、よく来たな。健人と遊んでおいで」
祖父がそう言って、ぼくの背中をおした。居間では、健人がテレビの前にすわっていた。ぼくに気づくと、健人はリモコンを手に取って、意味もなくチャンネルを変えた。
ぼくはその横を通りすぎて、台所の祖母に「何か手伝うことある」と聞いた。祖母は笑って、首を横にふった。
夕方、祖母が二人をよんだ。
「花火を買い忘れたの。バス停の前のお店まで、二人で行ってきてくれる」
健人とぼくは、同時に「一人で行けるよ」と言いかけた。けれど祖母は、もうお金を健人の手ににぎらせていた。
店までの道を、ぼくたちは少しはなれて歩いた。健人が前で、ぼくが後ろだ。せみの声ばかりが、やけに大きく聞こえた。何か言おうとして口を開くたびに、ぼくは道ばたの草に目をそらした。
花火を買って店を出たとたん、空が急に暗くなった。大つぶの雨が、音を立ててふり出した。ぼくたちはあわてて、向かいのバス停の小さな屋根の下にかけこんだ。
屋根はせまくて、二人のかたがくっつきそうになった。ぼくは体を半分雨に出したまま、じっと立っていた。健人も反対のはしで、花火のふくろを胸にかかえていた。
そのとき、二人そろって大きなくしゃみが出た。まったく同じ間で、同じような声だった。
健人がぼくの顔を見た。ぼくも健人を見た。次のしゅん間、二人ともふき出していた。
「今の、ぴったりだったな」
「おまえ、くしゃみの音まで去年と同じだ」
健人はそう言ってから、少しだまった。そして、雨のほうを見たまま、早口で言った。
「去年さ、あの魚、たぶん翔太のほうが先に見つけてた」
「……ぼくも、ひどいこと言った」
言ったとたん、顔が熱くなった。うれしいのに、なんだかくすぐったくて、ぼくは健人のほうを見られなかった。
雨は、来たときと同じように急にやんだ。雲の切れ目から夕日がさして、ぬれた道がオレンジ色に光った。
「帰ったら、すぐ花火やろうぜ」
健人がかけ出した。ぼくもそのあとを追った。今度は、二人ならんで走っていた。
課題
わたしの家は、駅前の通りで八百屋をしている。店の前を通る人に、父は朝から大きな声をかける。
「いらっしゃい。今日はトマトが安いよ。ほら、そこのおくさん、見ていって」
小さいころは、その声が好きだった。父のまねをして、店先で「いらっしゃい」とさけんだこともある。けれど六年生になってから、わたしは店の前を通るのをさけるようになった。
土曜日、友だちの千尋と図書館に行く約束をした。待ち合わせた公園を出ると、千尋は店のある通りのほうへ歩き出した。
「こっちの道のほうが、すずしいよ」
わたしは早口で言って、千尋のうでを引っぱった。けれど千尋は「暑いから近いほうがいい」と言って、さっさと先に行ってしまった。
店が近づくにつれて、父の声が聞こえてきた。いつもよりさらに大きい気がした。わたしは千尋のかげにかくれるようにして、地面ばかり見て歩いた。
「おう、結衣。友だちか。おじょうちゃん、これ持っていきな」
父がねじりはちまきのまま、店のおくから出てきた。そして、真っ赤なトマトを二つ、千尋の手にのせた。通りの人たちが、いっせいにこちらを見た。わたしは、はずかしさで耳の先まで熱くなった。
「お父さん、もういいから」
わたしは小さな声で言って、千尋の手を引いて店をはなれた。角を曲がるまで、一度もふり返らなかった。
図書館の前のベンチで、千尋はもらったトマトをじっと見ていた。わたしは何か言われる前に、口を開いた。
「ごめんね。うちのお父さん、声が大きくて」
「どうしてあやまるの」
千尋は、きょとんとした顔をした。
「うちのお母さん、毎朝あの店の前を通って仕事に行くの。結衣のお父さんに、いってらっしゃいって言われると、一日がんばれるんだって」
わたしは、千尋の顔を見つめた。父が、知らない人にまでそんな声をかけていたなんて、少しも知らなかった。
千尋はトマトを一つ、わたしにわたした。かじると、あまずっぱいしるが口いっぱいに広がった。父が毎朝、まだ暗いうちに市場から運んでくるトマトだ。胸の中があたたかくなるのに、さっき父に言った言葉を思い出すと、のどのおくが少しいたんだ。
帰り道、わたしはわざと店の前を通った。父はちょうど、おばあさんに大根をわたしているところだった。
「お父さん、ただいま」
自分でもおどろくほど、大きな声が出た。父は一しゅん目を丸くしてから、「おう、おかえり」と、さらに大きな声で答えた。
西日が店先の野菜を照らして、どれもつやつやと光っていた。
課題
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