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計算機と暗算 読解プリント(意見文・500字→800字→1200字)

計算機と暗算をくらべて、人が時間をかけて考えることの意味を問う意見文です。機械は答えを出せても、何を計算するか・その答えが正しそうかは決められない、という理由に注目して主張をまとめましょう。

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一(500字)

買い物で、おつりの計算をしたことはあるだろうか。レジは一瞬で正しい金額を出す。スマートフォンの計算機を使えば、どんな計算もまちがえない。では、自分の頭で計算する暗算に、まだ意味はあるのだろうか。

多くの人は、機械のほうが速く、正確で、疲れないと考える。計算機は、けたの多いかけ算でも一瞬で答えを出し、何百回やってもまちがえない。多くの人は、暗算の練習に時間を使うより、計算機にまかせたほうが得だと考える。

けれども、まちがえ、迷い、時間をかける人間の過程に、意味がある。計算機は答えを出せるが、何を計算すればよいのか、何のために計算するのかは決められない。暗算をする人は、だいたい三百円くらいと見当をつけ、計算してみて、ずれていればどこでまちがえたかを考える。この見当をつける力は、計算機を使うだけでは育たない。そして見当がつく人は、計算機の答えがおかしいときにも、それに気づくことができるのである。

このように、計算機があっても、暗算の意味はなくならない。機械は正しい答えを出してくれるが、その答えが正しそうかどうかを判断するのは、迷いながら計算してきた人の頭である。速さや正確さより、見当をつけて考える過程のほうに、人にしかない値打ちがあるのだ。

課題

  1. 筆者の主張を一文で書こう。
  2. 一般論の段落は何段落目?(  )段落目

二(800字)

買い物で、おつりの計算をしたことはあるだろうか。レジは一瞬で正しい金額を出す。スマートフォンの計算機を使えば、どんな計算もまちがえない。では、自分の頭で計算する暗算に、まだ意味はあるのだろうか。

多くの人は、機械のほうが速く、正確で、疲れないと考える。計算機は、けたの多いかけ算でも一瞬で答えを出し、何百回やってもまちがえない。多くの人は、暗算の練習に時間を使うより、計算機にまかせたほうが得だと考える。

けれども、まちがえ、迷い、時間をかける人間の過程に、意味がある。計算機は答えを出せるが、何を計算すればよいのか、何のために計算するのかは決められない。暗算をする人は、だいたい三百円くらいと見当をつけ、計算してみて、ずれていればどこでまちがえたかを考える。この見当をつける力は、計算機を使うだけでは育たない。そして見当がつく人は、計算機の答えがおかしいときにも、それに気づくことができるのである。

家のおつかいで、千円を持って買い物に行く。牛乳が二百円、パンが百五十円、たまごが二百五十円。計算機があれば、合計はすぐに六百円と出る。けれども、暗算をする人は、かごに入れながら、これで六百円くらいだから、あと四百円あると考える。お菓子を一つ足しても足りると見当をつける。レジで合計が出たとき、見当とちがえば、何か入れまちがえたと気づける。計算機は、打ちこんだ数の合計を出すだけで、打ちまちがいには気づかない。買う前に見当をつけ、あとで確かめる。この行ったり来たりの中で、数の感覚が育っていくのである。

こう考えると、暗算の値打ちは、速く答えを出すことにはない。機械は正しい答えを出してくれるが、その答えが正しそうかどうかを判断するのは、迷いながら計算してきた人の頭である。見当をつけて考える過程にこそ、人にしかない値打ちがあるのだ。

課題

  1. 筆者の主張を一文で書こう。
  2. 一般論の段落は何段落目?(  )段落目

三(1200字)

買い物で、おつりの計算をしたことはあるだろうか。レジは一瞬で正確な金額を表示する。スマートフォンの計算機を使えば、どんな計算も誤らない。では、自分の頭で計算する暗算に、まだ意味はあるのだろうか。

多くの人は、機械のほうが速く、正確で、疲れないと考える。計算機は、けたの多いかけ算でも瞬時に答えを出し、何百回くり返しても誤らない。多くの人は、暗算の練習に時間を費やすより、計算機に任せたほうが合理的だと考える。

けれども、まちがえ、迷い、時間をかける人間の過程に、意味がある。計算機は答えを出せるが、何を計算すればよいのか、何のために計算するのかは決められない。暗算をする人は、およそ三百円くらいと見当をつけ、計算してみて、ずれていればどこで誤ったかを考える。この見当をつける力は、計算機を使うだけでは育たない。そして見当がつく人は、計算機の答えが異常なときにも、それに気づくことができる。答えを出す力と、答えを疑う力とは、別のものなのである。

たとえば、家のおつかいで、千円を持って買い物に行く。牛乳が二百円、パンが百五十円、たまごが二百五十円。計算機があれば、合計は即座に六百円と出る。けれども、暗算をする人は、かごに入れながら、これで六百円ほどだから、あと四百円あると考える。お菓子を一つ加えても足りると見当をつける。レジで合計が表示されたとき、見当と異なれば、何か入れまちがえたと気づける。計算機は、入力された数の合計を出すだけで、入力の誤りには気づかない。買う前に見当をつけ、あとで確認する。この往復の中で、数の感覚が養われていくのである。

また、算数の文章題では、式さえ立てれば、計算機が答えを出してくれる。しかし、式を立てるのは人である。一本八十円の鉛筆を十二本買う問題で、答えが九千六百円と出れば、暗算の感覚がある人は、すぐに異常に気づく。八十円が十本で八百円、十二本なら千円前後のはずだからである。この「前後」という見当があるから、けたの誤りに気づける。計算機は、誤った式にも正確に答えを出す。だから、答えが妥当かどうかを判断する力は、機械ではなく、人が持っていなければならない。暗算で養われるのは、速さではなく、この判断する力なのである。

つまり、暗算で養われるのは、答えを出す速さではなく、答えを疑う力である。もちろん、機械のほうが速く正確なのは確かだ。けたの多い計算や、何百もの数を合計する作業は、計算機に任せたほうが確実である。答えを出すのは機械でよい。しかし、その答えが妥当かどうかを判断するのは、迷いながら計算してきた人の頭である。見当をつけて考える過程こそ、機械には代わりのできない、人の仕事なのである。

課題

  1. 筆者の主張を一文で書こう。
  2. 一般論の段落は何段落目?(  )段落目

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