ガイドブックで知ることと、実際に旅をすることをくらべて、「本や言葉で知れば十分わかる」という一般論を問い直す意見文です。体験には言葉にならない部分があり、それが言葉を深くする、という主張を具体例とあわせて読み取りましょう。
家族で旅行に行く前に、ガイドブックを読んだことはあるだろうか。有名な寺や美しい海の写真がならび、見どころが文章で説明されている。では、ガイドブックを読んでわかることと、実際に旅をしてわかることは、同じなのだろうか。
たしかに、本や言葉で知れば、十分にわかると言われることが多い。ガイドブックには、写真も地図も歴史もまとめてある。多くの人は、くわしい本を読めば、行かなくてもだいたいのことはわかると考える。時間もお金もかからないのだから、そのほうが得だというわけである。
しかし、体験には言葉にならない部分があり、その部分こそが言葉を深くする。言葉は、体験を切り取った一部にすぎない。ガイドブックに「静かな寺」と書いてあっても、静けさの中で聞こえる風の音や、石段を上るときの足の重さは、書かれていない。切り取られなかった部分は、自分で行って感じるしかない。そして、実際に行ったあとで同じ文章を読み返すと、「静か」という一言が、まるでちがう重みをもって見えてくる。
こう考えると、ガイドブックは旅の代わりにはならない。言葉で知ったことを、体で確かめに行く。すると、言葉のうしろにあったものが見えて、言葉そのものが深くなる。旅は、言葉の外にあるものを取りに行くことなのである。
課題
家族で旅行に行く前に、ガイドブックを読んだことはあるだろうか。有名な寺や美しい海の写真がならび、見どころが文章で説明されている。読めば、行く前から旅先のことがよくわかる。では、ガイドブックを読んでわかることと、実際に旅をしてわかることは、同じなのだろうか。
たしかに、本や言葉で知れば、十分にわかると言われることが多い。ガイドブックには、写真も地図も歴史もまとめてある。多くの人は、くわしい本を読めば、行かなくてもだいたいのことはわかると考える。時間もお金もかからないのだから、そのほうが得だというわけである。
しかし、体験には言葉にならない部分があり、その部分こそが言葉を深くする。言葉は、体験を切り取った一部にすぎない。ガイドブックに「静かな寺」と書いてあっても、静けさの中で聞こえる風の音や、石段を上るときの足の重さは、書かれていない。切り取られなかった部分は、自分で行って感じるしかない。そして、実際に行ったあとで同じ文章を読み返すと、「静か」という一言が、まるでちがう重みをもって見えてくる。
たとえば、家族で京都に出かける。ガイドブックには「清水寺は、高い舞台から町を見わたせる」と書いてある。写真も大きくのっている。ところが、実際に行ってみると、舞台に立つまでに坂道を長く歩き、人ごみの中で汗をかく。やっと舞台に出たとき、風がふき、足もとがずっと下にあることに、少しこわさを感じる。この坂道の疲れも、風も、こわさも、ガイドブックには書かれていなかった。家に帰って同じページを開くと、「見わたせる」という言葉のうしろに、あの風と高さがよみがえる。言葉が、体験によってふくらんだのである。
ガイドブックは、旅の代わりにはならないのである。言葉で知ったことを、体で確かめに行く。すると、言葉のうしろにあったものが見えて、言葉そのものが深くなる。言葉の外にあるものを取りに行く。それが旅なのだ。
課題
家族で旅行に行く前に、ガイドブックを読んだことはあるだろうか。有名な寺や美しい海の写真が並び、見どころが文章で説明されている。読めば、出発する前から旅先の様子がよくわかる。では、ガイドブックを読んでわかることと、実際に旅をしてわかることは、同じなのだろうか。
たしかに、本や言葉で知れば、十分にわかると言われることが多い。ガイドブックには、写真も地図も歴史も整理されてまとめてある。多くの人は、くわしい本を読めば、現地に行かなくても大体のことは理解できると考える。時間も費用もかからないのだから、そのほうが合理的だというわけである。
しかし、体験には言葉にならない部分があり、その部分こそが言葉を深くする。言葉は、体験を切り取った一部にすぎない。ガイドブックに「静かな寺」と記されていても、その静けさの中で聞こえる風の音や、石段を上るときの足の重さは、記されていない。切り取られなかった部分は、自分で現地に立って感じるしかない。そして、実際に訪れたあとで同じ文章を読み返すと、「静か」という一語が、まるで異なる重みをもって立ち上がってくる。言葉は、体験に裏打ちされてはじめて、本来の深さを取りもどすのである。
家族で京都に出かけた。ガイドブックには「清水寺は、高い舞台から市街を一望できる」と記されている。写真も大きく掲載されている。ところが、実際に行ってみると、舞台に立つまでに坂道を長く歩き、人ごみの中で汗をかく。ようやく舞台に出たとき、風が吹き、足もとがはるか下にあることに、わずかな恐怖を覚える。この坂道の疲労も、風も、恐怖も、ガイドブックには記されていなかった。帰宅して同じページを開くと、「一望できる」という言葉の背後に、あの風と高さがよみがえる。言葉が、体験によって厚みを増したのである。
旅先で名物を食べる。ガイドブックには、その土地の名物の名前と、「素朴な味」といった短い説明が載っている。しかし、実際に店に入ると、店の人の言葉になまりがあり、湯気とともに知らないにおいがただよう。一口食べて、予想より塩からいと感じる。この「予想より」という感覚は、本を読んだだけでは生まれない。自分の予想と、実際の味とのずれを感じることで、「素朴」という言葉が何を指していたのかが、はじめて具体的にわかる。言葉は、体験と照らし合わされてはじめて、確かな意味を持つのである。
だから、ガイドブックは旅の代わりにはならない。言葉で知ることにも一理ある。ガイドブックを読んでいたからこそ、舞台の高さや名物の味に注意が向いたのであり、何も知らなければ見過ごしていたかもしれない。しかし、言葉で知ったことは、体で確かめに行かなければならない。すると、言葉の背後にあったものが見え、言葉そのものが深くなる。旅とは、言葉の外にあるものを取りに行くことなのである。
課題
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