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翻訳機と外国語 読解プリント(意見文・500字→800字→1200字)

翻訳機にまかせることと、時間をかけて外国語を学ぶことをくらべる意見文です。「機械のほうが速く正確だ」という一般論に対し、筆者はまちがえ、迷う人間の過程にこそ意味があると主張します。

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一(500字)

外国の人に話しかけられて、こまったことはあるだろうか。今は、スマートフォンの翻訳機に話しかければ、すぐに外国語に直してくれる。何年も勉強しなくても、言葉は通じる。では、自分で外国語を学ぶことに、まだ意味はあるのだろうか。

世間では、機械のほうが速く、正確で、疲れないと思われている。翻訳機は、何十もの言葉を一瞬で言いかえる。単語を忘れることも、文法をまちがえることもない。多くの人は、何年もかけて外国語を学ぶより、機械にまかせたほうが得だと考える。

ところが、まちがえ、迷い、時間をかける人間の過程にこそ、意味がある。機械は答えを出せるが、何を伝えたいのか、何のために話すのかは決められない。外国語を学ぶ人は、単語を思い出せずに言いよどみ、相手の顔を見ながら、身ぶりで補う。そのまちがいや迷いの中で、相手が何を聞きたがっているのかがわかってくる。翻訳機は言葉を運ぶが、相手とのあいだに何かを生み出すのは、人のほうなのである。

だから、翻訳機があっても、外国語を学ぶ意味はなくならない。機械は言葉を正しく直してくれるが、たどたどしくても自分の口で伝えようとする時間が、相手との関係を作る。速く正確なことより、迷いながら伝えることのほうに、人にしかない値打ちがあるのだ。

課題

  1. 筆者の主張を一文で書こう。
  2. 一般論の段落は何段落目?(  )段落目

二(800字)

外国の人に話しかけられて、こまったことはあるだろうか。今は、スマートフォンの翻訳機に話しかければ、すぐに外国語に直してくれる。何年も勉強しなくても、言葉は通じる。では、自分で外国語を学ぶことに、まだ意味はあるのだろうか。

世間では、機械のほうが速く、正確で、疲れないと思われている。翻訳機は、何十もの言葉を一瞬で言いかえる。単語を忘れることも、文法をまちがえることもない。多くの人は、何年もかけて外国語を学ぶより、機械にまかせたほうが得だと考える。

ところが、まちがえ、迷い、時間をかける人間の過程にこそ、意味がある。機械は答えを出せるが、何を伝えたいのか、何のために話すのかは決められない。外国語を学ぶ人は、単語を思い出せずに言いよどみ、相手の顔を見ながら、身ぶりで補う。そのまちがいや迷いの中で、相手が何を聞きたがっているのかがわかってくる。翻訳機は言葉を運ぶが、相手とのあいだに何かを生み出すのは、人のほうなのである。

たとえば、家族で海外に旅行して、店で買い物をする。翻訳機に「値段を教えてください」と話しかければ、正しい外国語がすぐに出てくる。店の人は答えてくれるだろう。けれども、そこで会話は終わる。いっぽう、学校で習ったばかりの言葉で、たどたどしく値段を聞いてみる。発音がおかしくて、店の人が笑いながら聞き返す。もう一度言ってみると、今度は通じて、店の人が「どこから来たの」とたずねてくれる。正しく言えなかったからこそ、会話が生まれたのである。まちがいと迷いの時間が、人と人をつなげたのだ。

つまり、機械は言葉を正しく直してくれるが、相手との関係を作るのは、たどたどしくても自分の口で伝えようとする時間のほうである。翻訳機があっても、外国語を学ぶ値打ちは消えない。速く正確なことより、迷いながら伝えることのほうに、人にしかない値打ちがあるのだ。

課題

  1. 筆者の主張を一文で書こう。
  2. 一般論の段落は何段落目?(  )段落目

三(1200字)

外国の人に話しかけられて、こまったことはあるだろうか。今は、スマートフォンの翻訳機に話しかければ、即座に外国語に変換してくれる。何年も学習しなくても、言葉は通じる。では、自分で外国語を学ぶことに、まだ意味はあるのだろうか。

世間では、機械のほうが速く、正確で、疲れないと思われている。翻訳機は、何十もの言語を一瞬で言いかえる。単語を忘れることも、文法を誤ることも、疲れて集中が切れることもない。多くの人は、何年もかけて外国語を習得するより、機械に任せたほうが合理的だと考える。

ところが、まちがえ、迷い、時間をかける人間の過程にこそ、意味がある。機械は答えを出せるが、何を伝えたいのか、何のために話すのかは決められない。外国語を学ぶ人は、単語を思い出せずに言いよどみ、相手の表情を見ながら、身ぶりで補う。その誤りや迷いの中で、相手が何を求めているのかが次第に見えてくる。翻訳機は言葉を正確に運ぶが、相手とのあいだに関係を生み出すのは、人のほうである。言葉を交わすとは、情報を移すことではなく、相手とともに意味を作ることなのだ。

家族で海外に旅行し、店で買い物をする。翻訳機に「値段を教えてください」と話しかければ、正しい外国語が即座に出てくる。店の人は答えてくれるだろう。けれども、そこで会話は終わる。いっぽう、学校で習ったばかりの言葉で、たどたどしく値段を聞いてみる。発音が不正確で、店の人が笑いながら聞き返す。もう一度言ってみると、今度は通じて、店の人が「どこから来たの」とたずねてくれる。正しく言えなかったからこそ、会話が生まれたのである。誤りと迷いの時間が、人と人を結びつけたのだ。

英語の宿題で、自分のことを英語で書く課題が出た。翻訳機に日本語を入力すれば、整った英文が即座に出てくる。それを書き写せば宿題は終わる。しかし、自分で書こうとすると、好きな食べ物までは言えても、なぜ好きなのかを表す言葉が出てこない。辞書を引き、知っている単語を並べ、何度も書き直す。できあがった文は短く、誤りもある。けれども、その文には、自分が何を言いたいのかを考えた時間が残っている。翻訳機の英文は正確だが、そこには、伝えたいことを選んだ人の迷いがない。機械は言葉を整えられても、伝えたいことを選ぶのは、人にしかできないのである。

外国語を学ぶ意味は、翻訳機の時代にも残りつづける。たしかに、機械のほうが速く正確である。緊急のときや、専門的な内容を正確に伝えたいときには、翻訳機は大いに役立つ。しかし、たどたどしくても自分の口で伝えようとする時間が、相手との関係を作る。速さや正確さより、迷いながら伝える過程のほうに、人にしかない価値がある。次に外国の人と話す機会があったら、翻訳機をしまって、まず自分の言葉で話してみてはどうだろう。

課題

  1. 筆者の主張を一文で書こう。
  2. 一般論の段落は何段落目?(  )段落目

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