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料理の味つけ 読解プリント(意見文・500字→800字→1200字)

料理の味つけの失敗を題材に、失敗の価値を考える意見文です。しょっぱすぎた一皿も「道しるべ」になる、という結びが、どの一般論を問い直しているのかを見分けましょう。

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一(500字)

初めて料理をしたとき、味つけで失敗したことはないだろうか。しょうゆを入れすぎてしょっぱくなったり、味がうすくてぼんやりしたり。作った本人も、食べる家族も、がっかりする。そういう失敗は、ただのむだなのだろうか。

もちろん、失敗はさけるべきもので、成功だけに価値があると考える人は多い。料理なら、レシピの通りに作って、一度でおいしくできるのがよい。材料をむだにして、おいしくないものを食べるくらいなら、失敗はしないほうがいい。多くの人はそう考える。

だが、失敗とは「うまくいかない方法を一つ見つけた」ことである。しょうゆを入れすぎてしょっぱくなれば、次はその量より少なくすればよいとわかる。うすければ、もう少し足せばよいとわかる。失敗するたびに、「ちょうどよい」の場所が、少しずつはっきりしてくる。反対に、失敗をおそれてレシピの通りにしか作らなければ、失敗はしない。けれども、それは、できることしかしていないということだ。レシピにない材料を前にしたとき、その人は何も作れない。

つまり、味つけの失敗は、むだではない。しょっぱすぎた一皿も、うすすぎた一皿も、ちょうどよい一皿への道しるべになるのである。失敗した数だけ、味は確かになっていく。

課題

  1. 筆者の主張を一文で書こう。
  2. 一般論の段落は何段落目?(  )段落目

二(800字)

初めて料理をしたとき、味つけで失敗したことはないだろうか。しょうゆを入れすぎてしょっぱくなったり、味がうすくてぼんやりしたり。作った本人も、食べる家族も、がっかりする。そういう失敗は、ただのむだなのだろうか。

もちろん、失敗はさけるべきもので、成功だけに価値があると考える人は多い。料理なら、レシピの通りに作って、一度でおいしくできるのがよい。材料をむだにして、おいしくないものを食べるくらいなら、失敗はしないほうがいい。多くの人はそう考える。

だが、失敗とは「うまくいかない方法を一つ見つけた」ことである。しょっぱければ、次は少なくすればよいとわかる。うすければ、次は足せばよいとわかる。失敗するたびに、「ちょうどよい」の場所が、少しずつはっきりしてくる。反対に、失敗をおそれてレシピの通りにしか作らなければ、失敗はしない。けれども、それは、できることしかしていないということだ。レシピにない材料を前にしたとき、その人は何も作れない。

初めて一人でみそ汁を作った。みそをどれだけ入れればよいか、見当がつかない。思いきって入れたら、しょっぱくて飲めなかった。次の日、こんどは少なめにしたら、お湯のようにうすかった。三日目、前の二回の間くらいの量にしてみたら、ちょうどよかった。一回目の失敗は「多すぎる」を教え、二回目の失敗は「少なすぎる」を教えた。二つの失敗にはさまれて、「ちょうどよい」が見えてきたのである。もし一回目でこりて作るのをやめていたら、ちょうどよい味には、いつまでもたどりつけなかっただろう。

味つけの失敗は、むだではない。しょっぱすぎた一皿も、うすすぎた一皿も、ちょうどよい一皿への道しるべになる。失敗した数だけ、味は確かになっていく。そう思えば、次にしょっぱい一皿ができたときも、少しちがう気持ちで味わえるだろう。

課題

  1. 筆者の主張を一文で書こう。
  2. 一般論の段落は何段落目?(  )段落目

三(1200字)

初めて料理をしたとき、味つけで失敗した経験はないだろうか。しょうゆを入れすぎてしょっぱくなったり、味がうすくてぼんやりしたり。食べられないほどの失敗もあったかもしれない。そうした失敗は、材料と時間を浪費しただけの、ただの無駄なのだろうか。

もちろん、失敗はさけるべきもので、成功だけに価値があると考える人は多い。料理であれば、レシピの通りに作り、一度でおいしく仕上げるのが理想だ。材料を無駄にし、おいしくないものを食べるくらいなら、失敗はしないに越したことはない。多くの人はそう考える。

だが、失敗とは「うまくいかない方法を一つ見つけた」ことである。しょっぱければ、次は少なくすればよいとわかる。うすければ、次は足せばよいとわかる。失敗するたびに、「ちょうどよい」の位置が、少しずつ明確になっていく。反対に、失敗をおそれてレシピの通りにしか作らなければ、失敗はしない。けれども、それは、できることしかしていないということだ。レシピにない材料を前にしたとき、その人は何も作れない。

たとえば、初めてみそ汁を作るとき、みそをどれだけ入れればよいか、見当がつかない。思いきって入れたら、しょっぱくて飲めなかった。翌日、こんどは少なめにしたら、お湯のようにうすかった。三日目、前の二回の中間くらいの量にしてみたら、ちょうどよかった。一回目の失敗は「多すぎる」を教え、二回目の失敗は「少なすぎる」を教えた。二つの失敗にはさまれて、「ちょうどよい」の位置が見えてきたのである。もし一回目でこりて作るのをやめていたら、ちょうどよい味には、いつまでもたどりつけなかっただろう。

また、長く台所に立ってきた人は、はかりを使わずに味を決めることができる。これを目分量という。レシピの数字を見なくても、手に取った量と、なべの中の様子だけで、ちょうどよい味に仕上げてしまう。この力は、生まれつきのものではない。何度も作り、何度も「今日はしょっぱい」「今日はうすい」と失敗してきた、その記憶の蓄積である。失敗の一つ一つが、「この量ではこうなる」という知識として体に残っている。つまり、目分量とは、数えきれない失敗を一つにまとめた知恵なのである。失敗を避け、レシピの数字どおりにしか作らない人には、この知恵は身につかない。

このように、味つけの失敗は無駄ではない。しょっぱすぎた一皿も、うすすぎた一皿も、ちょうどよい一皿への道しるべである。同じ失敗を何度もくり返すだけでは意味がない、という考えにも一理ある。問われるのは、失敗から何を学んだかだろう。けれども、学ぶべき失敗がそもそもなければ、学びようもない。失敗した数だけ、味は確かになっていく。失敗を恐れて作らないことこそ、本当に恐れるべきことなのである。

課題

  1. 筆者の主張を一文で書こう。
  2. 一般論の段落は何段落目?(  )段落目

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