構築主義と本質主義を、人の性質は生まれつきか、あとから作られるか、性格や男らしさ・女らしさの例、どちらで説明するかで比べる説明文です。入試の評論で使われる抽象的な言葉を、身近な例と結びつけて読む練習になります。
「女の子はおとなしい」「男の子は活発だ」という言い方がある。こうした性質がどこから来るのかについては、構築主義と本質主義という二つの考え方がある。
構築主義では、人の性質はあとから作られると考える。生まれたときには決まっておらず、家族や友だち、学校との関わりの中で組み立てられていく。「構築」とは、組み立てて作るという意味だ。次に、性格や男女らしさも同じように見る。ある子がのんびりした性格なら、家族がせかさずに育てたから、そうなったと考える。「女の子はおとなしい」のも、小さいころから「おとなしくしなさい」と言われてきたからだと考える。
これに対して、本質主義では、人の性質は生まれたときから備わっていると考える。それは、その人の中にはじめからある「本質」で、まわりがどうであれ変わらない。性格や男女らしさも、同じように見る。のんびりした性格は、生まれつきの性格だと考える。「女の子はおとなしい」のも、女の子にはもともとそういう性質があるからだと考える。
同じ性格を、関わりの中で作られたと見るか、はじめから決まっていたと見るか。二つの考え方は、この一点で分かれている。
課題
「女の子はおとなしい」「男の子は活発だ」といった言い方を聞くことがある。こうした性質がどこから来るのかについては、構築主義と本質主義という二つの考え方がある。「主義」とは、ものごとをどう見るかという考え方のことだ。
構築主義では、人の性質はあとから作られると考える。生まれたときには決まっておらず、育つ中で、家族や友だち、学校や社会との関わりによって組み立てられていく。「構築」とは、組み立てて作るという意味だ。次に、性格や男女らしさも同じように見る。ある子がのんびりした性格なら、家族がせかさずに育てたから、そうなったと考える。「女の子はおとなしい」のも、小さいころから「おとなしくしなさい」と言われ、おとなしい子がほめられるうちに、そうなったのだと考える。この考え方で説明すると、性質は関わりの中で作られたものなので、関わりが変われば性質も変わりうる、ということになる。
ある男の子が車のおもちゃを好むとする。構築主義で説明すれば、まわりの大人が車のおもちゃを買いあたえ、「男の子らしいね」と声をかけてきたからだ、となる。もし人形を買いあたえ、人形で遊ぶたびにほめていたら、その子は人形を好んでいたかもしれない、と考えるのである。
一方、本質主義では、人の性質は生まれたときから備わっていると考える。おとなしさや活発さは、その人の中にはじめからある「本質」であり、まわりがどうであれ変わらない。花の種に、さく花の色がはじめから決まっているようなものだ。性格や男女らしさはどうか。これも同じように見る。のんびりした性格は、生まれつきの性格だと考える。「女の子はおとなしい」「男の子は活発だ」という言い方も、男女の性質がはじめから決まっていると考える点で、本質主義である。この考え方で説明すると、性質はもとから決まっているので、育て方や環境で変わるものではない、ということになる。
たとえば、同じ男の子が車のおもちゃを好む場合、本質主義で説明すれば、男の子は生まれつき乗り物を好むものだからだ、となる。もし人形を買いあたえていたとしても、その子はやはり車のほうに手をのばしただろう、と考えるのである。
構築主義は、性質を関わりの中で作られたものと見る。本質主義は、性質をはじめから決まっていたものと見る。
課題
「女の子はおとなしい」「男の子は活発だ」といった言説を耳にすることがある。こうした性質がいかにして生じるのかについては、構築主義と本質主義という二つの立場が存在する。「主義」とは、事物をいかに捉えるかという立場のことである。
構築主義では、人間の性質は後天的に形成されると考える。出生時には定まっておらず、成長の過程で、家族や友人、学校や社会との関わりによって組み立てられていく。「構築」とは、組み立てて作るという意味である。さらに、性格や男女らしさも同様に捉える。ある子どもがのんびりした性格であれば、家族が急かさずに育てたがゆえに、そうなったと考える。「女の子はおとなしい」のも、幼少期から「おとなしくしなさい」と言われ、おとなしい子どもが称賛されるうちに、そうなったのだと考える。この立場で説明すると、性質は関わりの中で形成されたものであるため、関わりが変化すれば性質も変化しうる、ということになる。
たとえば、ある男の子が車の玩具を好むとする。構築主義で説明すれば、周囲の大人が車の玩具を与え、「男の子らしいね」と声をかけてきたがゆえ、となる。仮に人形を与え、人形で遊ぶたびに称賛していれば、その子は人形を好んでいたかもしれない、と考えるのである。
本質主義の場合は、人間の性質は出生の時点で備わっていると考える。おとなしさや活発さは、その人物の内部に当初から存在する「本質」であり、周囲の状況にかかわらず不変である。花の種子に、咲く花の色が当初から定められているようなものである。性格や男女らしさも、同様に捉える。のんびりした性格は、生得的な性格であると考える。「女の子はおとなしい」「男の子は活発だ」という言説も、男女の性質が当初から定まっていると考える点で、本質主義に属する。この立場で説明すると、性質は当初から定まっているため、養育や環境によって変化するものではない、ということになる。
同じ男の子が車の玩具を好む場合、本質主義で説明すれば、男の子は生得的に乗り物を好むものだから、となる。仮に人形を与えていたとしても、その子はやはり車のほうに手を伸ばしたであろう、と考えるのである。
こうして、両者の立場は、同一の事象を前にして、形成と生得という正反対の説明を与えることになる。
課題
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